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北条時政以下鎌倉殿13人を記載する貴重な原文「日本外史」のうち「北条記の巻」江馬細香・自筆・茶道5B

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北条時政以下鎌倉殿13人を記載する貴重な原文「日本外史」のうち「北条記の巻」江馬細香・自筆・茶道5B

商品説明出品した古筆は、巻四「源氏後記・北条氏」の原文です。「日本外史・巻四」は、鎌倉幕府2代執権「北条義時」を中心に記しております。隷書体による「日本外史」江馬細香・自筆自筆下部に江馬細香の落款(印譜)「細香」と「湘夢」がある。2つとも細香の落款自筆上部に緒方洪庵の所蔵を示す「適々齋」の落款(印譜)がある。(自筆の凹凸はストロボの反射によるものです。)「額縁入自筆原本」上記額は、海外展示の際に用いられた額です。「自筆原本」原本下部の2つの印は、江馬細香の「細香・湘夢」の落款。上は、緒方洪庵の「滴々斎」の落款。《江馬細香・自筆「日本外史」北条記》原本の来歴及び国内所蔵数については下記に記載「日本外史」は、「女文字」による精密な「隷書体」で記されております。隷書体の「日本外史」は日本国内では本自筆のみです。「日本外史」は、白河藩主・松平定信に献上され自筆の序文冒頭には、「上楽翁(松平定信)公書」、末尾には文政十年(1827)5月21日、序文の下に大垣藩医・江馬蘭斎の娘・細香の号である「湘夢」の押捺がある。自筆は「極細」の筆が用いられており、正確で精緻な筆の運びが「芸術的な領域に達している」としてアメリカでは高く評価されている。海外展示に際し、断層写真により分析されております。原本を分析・解析するために海外の研究機関において「断層(MRI)写真」撮影等による新技術による分析・検査・証明が行われた後、一般の展示に付されたものです。出品した自筆は、アメリカで撮影された下記「断層(MRI)写真」においてわかる通り、微細な曲線をも精緻に描いた極めて美しい芸術性の高い日本語の優れた文字としても高い評価を受けております。上から3番目の写真は、科学的で客観的な分析データを重視するアメリカの航空宇宙局(NASA)の技術による「断層(MRI)写真」です。「断層(MRI)写真」によって、古切の書の詳細を知ることができます。NASA(アメリカ航空宇宙局)の優れた技術である「断層(MRI)写真」撮影を通して、日本の優れた伝統技術をアメリカ国内において広く知らせているものです。(Ⅰ)・出品した原本の「漢文」は次の通りです。《日本外史 巻之四 源氏後記 北条氏》《時》・・・・政敍從五位下。任遠江守。爲政所別當。與大江廣元。三善康信。中原親能。三浦義澄。八田知家。和田義盛。比企能員。安達盛長。足立遠光。梶原景時。藤原行政。參決諸政。餘毋得傳宣。賴家有狎臣五人。下教曰。五人親黨。有罪勿論。七月。參河盜起。遣安達景盛討之。景盛新買妾於京師。殊弗欲行。不得已而行。歸則賴家已奪其妾。愛幸之。有告景盛怨望者。賴家令五人討之。府下大擾。時賴朝薨纔六月。政子急如安達氏。使使誚讓賴家。且曰。汝不聽我言。吾以身當汝箭。賴家乃止。政子景盛誓書。使佐佐木盛綱齎送・・・・《賴家。》漢文の文責・出品者注記・漢字が難字(旧字)の場合、システムの関係でエラーとなり画像に反映されない場合があります。その場合、空白となりますが落札の際に出力文を交付いたします。「原文の読み下し文」と「現代語訳解読文」は、漢文の文字(難字・旧字)を正確に反映しております。(Ⅰ)・出品した原本(漢文)の「原文の読み下し文(解読文)」は次の通りです。《日本外史 巻之四 源氏後記 北条氏》《時》・・・・政(まさ)、従五位下に叙し、遠江守(とうとうみのかみ) に任ぜられ、政所別当と為る。大江(おおえ) 広元(ひろもと) ・三善(みよし) 康信(やすのぶ)・中原親能(なかはらちかよし) ・三浦義澄(よしずみ)・八田(はちだ) 知家(ともいえ) ・和田義盛・比企能員・安達盛長(ながもり)・足立遠光(あだちとおみつ) ・梶原景時(かじわらかげとき) ・藤原行政(ふじわらゆきまさ) と、諸政を参決す。余は伝宣を得る毋らしむ。頼家(よりいえ)、狎臣五人有り。教を下して曰く、「五人の親党は、罪有るとも論ずる勿れ」と。七月、参河に盗起る。安達景盛(あだちかげもり) を遣しで、之を討たしむ。景盛、新に妾を京師に買い、殊に行くを欲ぜず。已むを得ずして行く。帰れば則ち頼家(よりいえ)、已に其の妾を奪いて、絶だ之を愛幸す。景盛、怨望すと告ぐる者有り。頼家(よりいえ)、五人をして之を討たしむ。府下大に擾る。時に頼朝果て、纔に六閲月なり。政子(まさこ)、急に安達(あだち) 氏 に如き、使をして頼家(よりいえ) を請譲せしむ。且つ曰く、「汝、我が言を聴かずば、吾、身を以で、汝が箭に当らん」と。頼家(よりいえ) 乃ち止む。政子(まさこ)、景盛(かげもり) の誓書を徴し、佐佐木盛綱をして、・・・・・《齎らして頼家(よりいえ) に送り》漢文の読み下し文の文責・出品者(Ⅰ)・出品した原本(漢文)の「原文の現代語訳文」は次の通りです。《日本外史 巻之四 源氏後記 北条氏》《源頼朝、鎌倉に幕府を開く》《北条時政以下鎌倉殿13人の名前を記載する貴重な原文》《北条時》・・・・・政は、従五位下に叙されて、遠江守に任じられて、政所の別当となった。大江広元・三善康信・中原親能(ちかよし)・三浦義澄・八田知家・和田義盛・比企能員・安達盛長・足立遠光・梶原景時・藤原行政と共に、諸々の幕府の政治に参画して決断した。その他の者は、将軍に直接取り次ぐことは出来ないようにした。頼家には、お気に入りの五人の狎臣(こうしん)が居て、そして将軍命令を下した、「五人の親族に罪が有っても処罰してはいけない」と。七月、三河に盗賊が起こった。安達景盛を遣わし、これを討たせることになった。この時、景盛は、京師で新たに妾を買ったので、三河に行くのを殊に嫌がったが、已むを得ずに向かった。景盛が盗賊を平らげて鎌倉に帰ると、頼家は、既に景盛の妾を奪っていて、その妾を甚だ寵愛していた。ある者が、「景盛が怨んでいる」と頼家に告げた。頼家は、狎臣五人を遣わし、景盛を討たせた。その為、鎌倉が大騒ぎとなった。この時、頼朝が去ってかわず僅か六ヶ月であった。政子は、急遽安達氏の所へ向かい、使者を出して頼家の非を責めて、その上で言った、「汝が、我が言葉を聴き入れなければ、吾は、この身で汝の矢を受けましょう」と。ようやく騒ぎが止んだ。政子は、景盛に起請文を差し出させて、佐佐木盛綱にその起請文を持って・・・・《頼家の所に行かせて、かくして両者を和解させた。》備考:冒頭の北条時政以下の名前は鎌倉殿13人の主力メンバー現代語訳の出典・「日本外史」訳・頼惟勤・お茶の水女子大学名誉教授(1922~)「自筆の断層(MRI)写真」(断層画像MRI-4-5-B)「細香・湘夢」の2つの印は、江馬細香の落款。「序文の記載年号、落款、花押、及び隷書体の資料」写真右から隷書体の「曹全碑」写真。右から2番目は、序文末尾の拡大写真。日付左の印は、大垣藩医・江馬蘭斎の娘、江馬細香の号である「湘夢」の落款。右から3番目は、序文末尾に記された「文政十年(1827) 5月21日」の日付。その左が「湘夢」の落款。右から4番目が巻十六末尾下の「細香」の自筆署名と「湘夢」の落款。左端は、江馬細香・自筆の評価額・出典・「美術年鑑」古美術名家撰851頁(美術年鑑社・刊)「額縁裏面ラベルと巻四冒頭の落款」上の写真は額縁裏面のラベル 下の写真右端は巻四冒頭の部分下の写真左のうち上段は緒方洪庵の号「適々齋」下の写真左のうち下段は仙台藩の家紋竹に雀の落款「美術年鑑の評価額」「江馬細香の肖像と自筆」上の写真は、江馬細香の肖像。手前が細香、右上が紅蘭(原図は江馬家所蔵)下の写真は、江馬細香の自筆の詩稿、三十九歳の時の漢文。校正個所は頼山陽

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