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【NHK大河ドラマ】徳川家康、伏見城で豊臣秀吉に代わり天下の政治を執り行う・江馬細香・自筆「日本外史」緒方洪庵・旧所蔵2B

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【NHK大河ドラマ】徳川家康、伏見城で豊臣秀吉に代わり天下の政治を執り行う・江馬細香・自筆「日本外史」緒方洪庵・旧所蔵2B

商品説明隷書体による「日本外史」江馬細香・自筆自筆下部に江馬細香の落款(印譜)「細香」と「湘夢」がある。2つとも細香の落款自筆上部に緒方洪庵の所蔵を示す「適々齋」の落款(印譜)がある。(自筆の凹凸はストロボの反射によるものです。)「額縁入自筆原本」上記額は、海外展示の際に用いられた額です。「自筆原本」原本下部の2つの印は、江馬細香の「細香・湘夢」の落款。上は、緒方洪庵の「滴々斎」の落款。《江馬細香・自筆「日本外史」徳川家康は伏見城で豊臣秀吉に代わり天下の政治を執り行う》原本の来歴及び国内所蔵数については下記に記載「日本外史」は、「女文字」による精密な「隷書体」で記されております。隷書体の「日本外史」は日本国内では本自筆のみです。「日本外史」は、白河藩主・松平定信に献上され自筆の序文冒頭には、「上楽翁(松平定信)公書」、末尾には文政十年(1827)5月21日、序文の下に大垣藩医・江馬蘭斎の娘・細香の号である「湘夢」の押捺がある。自筆は「極細」の筆が用いられており、正確で精緻な筆の運びが「芸術的な領域に達している」としてアメリカでは高く評価されている。海外展示に際し、断層写真により分析されております。原本を分析・解析するために海外の研究機関において「断層(MRI)写真」撮影等による新技術による分析・検査・証明が行われた後、一般の展示に付されたものです。出品した自筆は、アメリカで撮影された下記「断層(MRI)写真」においてわかる通り、微細な曲線をも精緻に描いた極めて美しい芸術性の高い日本語の優れた文字としても高い評価を受けております。上から3番目の写真は、科学的で客観的な分析データを重視するアメリカの航空宇宙局(NASA)の技術による「断層(MRI)写真」です。「断層(MRI)写真」によって、古切の書の詳細を知ることができます。NASA(アメリカ航空宇宙局)の優れた技術である「断層(MRI)写真」撮影を通して、日本の優れた伝統技術をアメリカ国内において広く知らせているものです。(Ⅰ)・出品した原本の「漢文」は次の通りです。《日本外史 巻之二十一 徳川史氏正記》《人人有自立之》・・・・・志。而皆忌德川氏。相與欲圖之。一日。内大臣觀散樂于有馬氏。井伊直政來請間曰。今日外間騷擾。恐有變。宜及未昏還也。藤堂高虎繼至。密語久之。共扶而出。關東士民在京畿者。更相告言曰。我君將有難。盍往護之。來護第者數百人。先是。伊達政宗以上總介忠輝爲女婿。福島正則以松平康元女爲婦。蜂須賀至鎮自娶小笠原秀政女。康元。内大臣異父弟之子。秀政者。故世子信康之婿也。諸老奉行使人讓三家私婚背遺令。三家分疏不服。諸老奉行遂連署來誚。使解政柄。内大臣曰。我固不欲執政也。諸公厭我。・・・・・《我當引去。》漢文の文責・出品者注記・漢字が難字(旧字)の場合、システムの関係でエラーとなり画像に反映されない場合があります。その場合、空白となりますが落札の際に出力文を交付いたします。「原文の読み下し文」と「現代語訳解読文」は、漢文の文字(難字・旧字)を正確に反映しております。(Ⅰ)・出品した原本(漢文)の「原文の読み下し文(解読文)」は次の通りです。《日本外史 巻之二十一 徳川史氏正記》《人人自立の》・・・・志あり。而して概ね皆徳川氏を避け、相い与に之を図らんと欲す。一日、内大臣、散楽を有馬い氏に観る。井伊直政来り、間を請いて曰ぐ今日外間騒擾す。変あらんを恐る。宜しく未だ昏れざるに及びて還るべし」と。藤堂高虎、継ぎ至り、蜜語之を久しうし、共に扶けて出づ。関東の士民の京畿に在る者、更々相い告げて曰く「我が君、将に難あらんとす、蓋芒往きて之を護せざる」と。来りて第を護する者数百人なり。これより先、伊達政宗は上総介忠輝を以て女婿と為し、福島正則は松平康元の女を以て婦となし、蜂須賀至鎮は自ら小笠原秀政の女を娶る。康元は内大臣異父弟の子、秀政は故の世子信康の婿なり。諸老奉行、人をして三家の私に婚して遺令に背くを譲めしむ。三家、分疏して服せず。諸老、奉行、遂に連署して来り責めて政柄を解かしむ。内大臣曰くや我れ固より政を執るを欲せざるなり。諸公、我を厭う、我れ・・・・《当に引き去るべし》漢文の読み下し文の文責・出品者(Ⅰ)・出品した原本(漢文)の「原文の現代語訳文」は次の通りです。《日本外史 巻之二十一 徳川史氏正記》《徳川家康は伏見城で豊臣秀吉に代わり天下の政治を執り行う》《石田三成配下の諸老と奉行、徳川家康に政権の座から降りるよう勧告》《ある人がいうには「これは多分、井伊直政の部下が迎えにきたのだろう」と。近づいて見れば、その通りであった。そこで、徳川家康は、井伊直政の部下に殿(しんがり)をさせて帰った。この頃になると、天下の大名や豪傑は互いに》・・・・独立しようと思った。その大抵の者は徳川氏をいみ嫌い、ともに徳川氏を滅ぼそうとしていた。ある日、徳川家康は有馬則頼の屋敷で、猿楽の見物をした。すると、井伊直政がそこへやって来て、ちょっとお時間を下さい、と請うていうには(徳川家康)「今日、外では騒ぎ立てています。恐らく、変事があるかもしれません。夜にならないうちにお帰り下さい」と。続いて藤堂高虎もやって来て、内緒話をしばらくした。それから、ともに連れ立って退出した。 関東の士民で京都に居る者が、互いに告げていうには「わが殿(徳川家康)に危ないことが起こりそうだ。行って守ろう」と。集まって来て、伏見の徳川氏の屋敷を護衛する者が数百人にも及んだ。これより以前、伊達政宗は上総介松平忠輝を娘婿とし、福島正則は松平康元の娘を子の嫁(福島正之の妻)とし、蜂須賀至鎮は小笠原秀政の娘を娶った。松平康元は徳川家康の異父弟であり、小笠原秀政はもとの世嗣徳川信康の娘婿であり、いずれもが徳川氏の一族となった。諸老や奉行は人をやり、この三家(伊達・福島・蜂須賀)が勝手に徳川氏一族と婚姻を結び、太閤の遺命に背いたことを責めさせた。この三家は弁明するだけで服従しなかった。諸老や奉行はついに連判して来て責め、徳川家康に政権の座から降りるよう勧告した。すると、徳川家康がいうには (徳川家康)「自分ははじめから政治を執りたくはなかった。もし諸君が私をいやであれば、・・・・《引き去ろう」と。》現代語訳の出典・「日本外史」訳・頼惟勤・お茶の水女子大学名誉教授(1922~)「自筆の断層(MRI)写真」(断層画像MRI-21-2-B)「細香・湘夢」の2つの印は、江馬細香の落款。「序文の記載年号、落款、花押、及び隷書体の資料」写真右から隷書体の「曹全碑」写真。右から2番目は、序文末尾の拡大写真。日付左の印は、大垣藩医・江馬蘭斎の娘、江馬細香の号である「湘夢」の落款。右から3番目は、序文末尾に記された「文政十年(1827) 5月21日」の日付。その左が「湘夢」の落款。右から4番目が巻十六末尾下の「細香」の自筆署名と「湘夢」の落款。左端は、江馬細香・自筆の評価額・出典・「美術年鑑」古美術名家撰851頁(美術年鑑社・刊)「額縁裏面ラベルの表示」「美術年鑑の評価額」「江馬細香の肖像と自筆」上の写真は、江馬細香の肖像。手前が細香、右上が紅蘭(原図は江馬家所蔵)下の写真は、江馬細香の自筆の詩稿、三十九歳の時の漢文。校正個所は頼山陽

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