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(美術年鑑の評価額有)大槻磐渓・自筆「日本外史」徳川氏・緒方洪庵・旧所蔵・茶道・茶道具3-B

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(美術年鑑の評価額有)大槻磐渓・自筆「日本外史」徳川氏・緒方洪庵・旧所蔵・茶道・茶道具3-B

商品説明頼山陽「日本外史」大槻磐渓・直筆(自筆)緒方洪庵・旧所蔵(額縁は新品です。自筆の凹凸はストロボの反射によるものです。)《大槻磐渓・自筆「日本外史」》原本下部に大槻磐渓の名・清崇の落款2つ。原本上部に「適々斎」の印が見えます。「適々斎」は緒方洪庵の号です。額縁裏面ラベルの「NIHON GAISHI」は、アメリカの大学など海外示のための「仕様基準」に基づき表記されたものです。「NIKHON GAISI」(V.M.Mendrin,1915,Vradivostok.)の訳もあります。「額縁入自筆原本」「自筆原本」自筆の所蔵来歴及び国内所蔵数については下記に記載頼山陽と親しい仙台藩の大槻磐渓が書いた「日本外史」の自筆・原本です。「日本外史」は、大槻磐渓・自筆の「楷書体」で記されております。「日本外史」の著者・頼山陽は、大槻磐渓の最も尊敬する師であったため、「日本外史」を「草書体」ではなく、丁寧な「楷書体」で渾身をこめて書き上げたところに磐渓の丁寧さと几帳面さとをうかがい知ることができます。海外展示に際し、断層写真により分析されております。原本を分析・解析するために海外の研究機関において「断層(MRI)写真」撮影等による新技術による分析・検査・証明が行われた後、一般の展示に付されたものです。出品した自筆は、アメリカで撮影された下記「断層(MRI)写真」においてわかる通り、微細な曲線をも精緻に描いた極めて美しい芸術性の高い日本語の優れた文字としても高い評価を受けております。上から3番目の写真は、科学的で客観的な分析データを重視するアメリカの航空宇宙局(NASA)の技術による「断層(MRI)写真」です。「断層(MRI)写真」によって、古切の書の詳細を知ることができます。NASA(アメリカ航空宇宙局)の優れた技術である「断層(MRI)写真」撮影を通して、日本の優れた伝統技術をアメリカ国内において広く知らせているものです。(Ⅰ)・出品した原本の「原文の漢文」は次の通りです。《日本外史 徳川氏》《日本外史 卷之二十一》 《德川氏正記》 《德川氏四》 有蹤跡。反詰之。京畿騷然。黑田孝高。其子長政。福島正則。池田輝政。藤堂高虎。細川忠興。京極高次。織田長益。加藤清正。加藤嘉明。蜂須賀家政。森忠政。有馬則賴。金森長近。山岡景友。新莊直賴等。獨歸心於我。夜來護議事。或勸入京極氏大津城。大臣不肯曰。當是之際。進一得勢。退一失勢。乃止。榊原康政以更番至勢多。聞警疾馳至大津。故止不進。塞關以壅行人。行人填咽。乃開關通之。京師以爲東兵大至也。(自筆漢文の入力は出品者)(Ⅰ)・出品した原本の「原文の読み下し文」は次の通りです。《日本外史 徳川氏》《日本外史 卷之二十一》 《德川氏正記》 《德川氏四》 《諸将、前日の変故の皆》・・・・・縦跡あるを以て、之を反詰す。京畿、騒然たり。黒田孝高、其の子長政、福島正則、池田輝政、藤堂高虎、細川忠興、京極高次、織田長益、加藤清正、加藤嘉明、蜂須賀家政、森忠政、有馬則頼、金森長近、山岡景友、新荘直頼等、独り心を我に帰し、毎夜来り護りて事を議す。或ひと、京極氏の大津城に入るを勧む。内大臣肯んぜずして曰く、「この際に当り、一歩を進めば勢を得、一歩を退けば勢を失う」と。乃ち止む。榊原康政、更番を以て勢多に至り、警を聞き、とく馳せて大津に至り、故に止りて進まず。関を塞ぎて行人を止む。行人、填咽す。乃ち関を開きて之を通す。京師以為へらく、東兵大に至ると為す。(自筆漢文の「読み下し文の作成」は出品者)(Ⅱ)・出品した原本の「原文の現代語訳文」は次の通りです。《日本外史 徳川氏》《日本外史 卷之二十一》 《德川氏正記》 《德川氏四》 《諸老や奉行は人をやり、この三家(伊達・福島・蜂須賀)が勝手に徳川氏一族と婚姻を結び、太閤の遺命に背いたことを責めさせた。この三家は弁明するだけで服従しなかった。諸老や奉行はついに連判して来て責め、徳川家康に政権の座から降りるよう勧告した。すると、徳川家康がいうには (徳川家康)「自分ははじめから政治を執りたくはなかった。もし諸君が私をいやであれば、引き去ろう」と。諸老や奉行はついに連判して来て責め、徳川家康に政権の座から降りるよう勧告した。そこでわが諸将は、前日の有馬則頼邸などでの変事にはみな確かな証拠があるので、・・・・・・《あべこべに、諸老や奉行を詰問した。京畿地方はもの騒がしくなった。黒田孝高・その子の黒田長政・福島正則・池田輝政・藤堂高虎・細川忠興・京極高次・織田長益・加藤清正・加藤嘉明・蜂須賀家政・森忠政・有馬則頼・金森長近・山岡景友・新庄直頼らは、心を徳川氏に寄せており、毎夜来ては護衛し、相談をした。ある人が京極高次に、「貴公の領国、大津城へ入るよう」勧めた。徳川家康がこれを許さないでいうには、(徳川家康)「この際、一歩進めれば勢いがつくし、一歩を退けば勢いがなくなるから、決して移り入ってはならない」と。 京極高次は大津城へ入ることを中止した。 榊原康政は更番のために上洛しようとして、瀬田まで来た。そこで警報を聞いて、大急ぎでそこから西の大津まで駆けつけたが、そこにわざと留まって進まない。 大津の関所は門を閉めて、旅人らの通行を止めた。そのため、次第に旅人が集まっていっぱいになった。そこで一度に、関所の門を開いて旅人らを通した。 京都ではこれを、関東からの軍勢が押し寄せて来たのか、と勘違いをした。・・・・・・《石田三成側の計は、そのために妨害されたことが多かった。 本多正信・伊奈忠次は、年貢取り立てのためにたまたま西上した。これもまた、二日の行程を一日ほどでやって来た。 徳川家康は本多正信を召し寄せて、計を問うた。そして徳川家康がいうには(徳川家康)「三中老は仲裁するから誓いをせよといい、大坂ではわれが行くのを待っているという。行くがよいか、行かぬかよいか」と。》現代語訳の出典・「日本外史」訳・頼惟勤・お茶の水女子大学名誉教授(1922~)「自筆の断層(MRI)写真」(断層画像MRI-21-3B)平面の和紙の内部が立体的に見えるのはMRI(断層撮影)技術によるものです。「大槻磐渓の自筆の表紙、冒頭、及び末尾」写真右から書の表紙、中央が冒頭、左端が末尾と落款。大きい印は仙台藩の所蔵印、その上が大槻磐渓の名の「清崇」の印一番上の細長い印は、緒方洪庵の号「滴々斎」の印「大槻磐渓の書の評価額(美術年鑑の評価額)」写真は、「美術年鑑」の評価額「緒方洪庵・大槻磐渓・額縁裏面のラベルの表示」写真上の段の左の胸像と中央の写真は緒方洪庵、右端は大槻磐渓の肖像下のラベルは展示用に準拠し、額縁の裏面に貼付します。「旧所蔵者・緒方洪庵の旧宅・旧適塾(現在の大阪大学)」

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